気持ちはいつでも犯罪者・・・。
地獄から天国への物語(地獄編)
ちぃやんは、こう見るといたって普通の女です。↓(寄り目なところ以外は)

しかし、気持ちはいつでも犯罪者でした・・・。
地獄から天国へのストーリーが今からはじまります。
※この地獄編は、あまりにも「白夜行」的な救いどころのないお話なので、そういうのが嫌な人は読まないほうがいいと思います。m(u_u)m
バランスが極端に崩れた、「超平和主義」だった私
私の最大の特徴は、超平和主義ということです。
かわいい動物やお花が好き。
セキセイインコをずっと飼っていたり、
まるくてかわいいものに惹かれます(@^◇^@)
「みんなが平和で仲良しであったらいいな。」
「どんな人も、みんな幸せでいて欲しい。」
そういう気持ちが、すごくすごく大きいんですね。
でも、その強すぎる想いがあだとなって、
私は呪いにかけられ、地獄に落ちたのでした。
呪いの原因は、私の家庭環境によるマインドコントロールだった
私の両親は、私が小学校2年生のときに離婚しました。
母は、自分が最初に浮気をしたのに、私にはそれをずっと隠し通し、
父が浮気をしたのが原因で騙されて離婚したのだと、ずっと怒っていました。
まあ父親も浮気をして子供まで作っていたので、どっちもどっちなんですが。
はっきりいって、私の両親はすごくバカで、すごく自分勝手です。
上の文章を読んだだけでわかるかもしれませんが、
ひどい親ランキングで上位に入るでしょう。
そんな親でも、私の親です。
私は母に、幸せになって欲しいと思い続けました。
一緒に笑いながら生活がしたい。
ただそれだけが願いだったのです。
しかし、父に捨てられたという思いから、母は毎日怒っていました。
イライライライラ、ガミガミガミガミ。
常に怒りを爆発させていたのです。
母は勉強はものすごくでき、学年で1位を取るぐらいの成績優秀者でした。
なぜかというと、ものすごく完ぺき主義で、不安症だったからなのです・・・。
「~~~するべきだ!!」
母の性格は、この一言で表せます。
1位を取るべきだ、という思考から、母も勉強を相当がんばったのでしょうね。
そんな完ぺき主義の母は、父に捨てられました。
父は私の母とは離婚し、職場内不倫をした人と結婚。新しい家庭を持ちました。
捨てられた母は怒り狂い、私と妹を育てるこれからの人生に恐怖と不安を感じるようになったんです。
母は、不倫相手の女の車を後ろからつけていき、家に入った瞬間に首を絞めにいったそうです。
「首を絞めて殺そうとしたけれど、他の人に止められて殺せなかった。
止められなかったら、きっと殺していた。」
これは母から実際に20回ぐらい聞いた話です。
母はネガティブであり、とてつもなくしつこいんですね。
そのすさまじいやり場のない怒りが、私に毎日ぶつけられました。
完ぺき主義にものすごい怒りと不安が加わると、生き地獄だと思いませんか(苦笑)
母自身も苦しかったことだと思いますが、
一緒にいたくないタイプの人ナンバーワンかもしれませんね。
でも、親ですから一緒に暮らさなければなりません。
私は母の所有物として、ステータスとして、常に高いレベルを求められました。
父がいない不幸な家庭と見られたくなかったのでしょう、常に気がはっていました。
子供だけはせめて優秀にしたい、という気持ちが強すぎたのかもしれません。
母のどんな理不尽な要求でも、母を幸せにしてあげたいと、がんばりすぎました。
常にお母さんがこれ以上怒らないように、これ以上不安にさせないように、いい子であり続けました。
自分が不安でも一切不安を出してはいけない。
自分が怒っていても、これ以上母を怒らせたらいけないから怒らない。
悲しいところを見せたりしたら、「どうしたの!?!?!?」とものすごく心配されるから悲しいところは見せない。
ただでさえ不安症の母親に、自分の不安なところを見せるなんてとんでもない。
いつも、ニコニコでありつづけるようにしました。
まるでロボットのように。
勉強もものすごくがんばりました。
私は本当はあまり優秀ではないのですが、
母を喜ばせるためにがんばれたのだと思います。
しかし、どんなに気を張り詰めていても、私は毎日怒られていました。
「どうしてこんなことができないの!?
全くバカなんだから!!
もうちょっと手伝ってくれたっていいじゃない!!
お前はちっとも優しくないんだから!!
お前がいると問題ばかり増える!!もうこれ以上問題を増やさないで!!!」
まるでほえまくる犬のように、甲高いどなり声で罵倒される毎日。
でも、何かを手伝おうとしても怒られ、何をやっても母の要求は満たされることはありませんでした。
母はたぶん、ただ怒りたかっただけなんでしょうね。
私はものすごく困りました。
もうすでに、ものすごく気を使っているのです。
自分なりにですが、ものすごくがんばっているのです。
これ以上言われても、限界はもうとっくに過ぎているのです・・・。
「でも私は、、、お母さんの笑顔が見たい・・・・・・・・・・・
喜んで欲しい・・・・一緒に笑って過ごしたい・・・・
だから、、がんばる・・・。」
そして私は、引き続き自分を否定され続けました。
でも、どんなにがんばっても、やっぱり母が喜んでくれることはなかったのでした。
私はいつしか精神崩壊していました。
そんな毎日を過ごしていたら、精神のバランスが崩れ、異常なまでに自分に自信がなくなるのは当然ですね。
これが母親からかけられた思考の呪いです。
宗教にもよくある、「マインドコントロール」と同じです。
他人ならまだしも、マインドコントロールを、家族にされるとは。
母はかなりしつこい性格でもあったので、家に早く帰らないと電話が何十回も携帯にかかってきましたし、不安や否定の言葉を何度も何度も同じ言葉で言い続けられましたからね。
そんな毎日で、恐怖心が強くなり、
地獄思考がインストールされたちぃやんができあがったのです・・・w(゚∇゚|||)
両親とも実は毒親だった
母は、私を否定続けることで、自分の怒りを開放し、自分のほうが優れているという優越感を満たし、不安定な精神バランスを保っていたのかもしれません。
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という有名な本を読んだところ、まさにうちの両親はどっちも「毒親」でしたねw
しかし、20歳になるまで気づきませんでした。
うちの家庭が、常識からどれだけずれているかなんて。
慣れというのは本当に怖いものです。
私は、否定されて当たり前の人間って思ってしまうんですから。
気づかなかったら、まさに一生、ずーっと死ぬまで苦しむ思考で生きていたでしょう。
ショックで心を固く閉ざし、恐怖と怒りの無限ループ。
私はいないほうがいい。死ぬべきだと感じていた
私は、両親の離婚時は小学校2年生でしたから、まだとってもとっても純粋な心があったわけです。そこにとてつもなくショックを受け、大きな傷が出来ていました。
「私が原因で、お父さんとお母さんは離婚したのではないか・・・?
私はひょっとして、迷惑な存在なのではないか・・・?」
と。(今はそんなこと思ってませんがw)
離婚後、母親から「お前は役立たずで価値のない存在だ」という罵倒メッセージをあびせられ続けた結果、その疑問は確信へと変わっていきました。
私は自分が、生きている価値がない人間だと思い込んでしまったのです。
「もう疲れたよ・・・・・・」
と母が誰かに電話しながら泣いているのを2階から見て、私が死ねば母は救われるんじゃないかと泣いたものです。
私がいたらお金もかかる。手間もかかる。迷惑な存在なんだと。
こんな精神状態で、人間関係など作れるわけもありません。
学校では、休憩時間が怖くて怖くて、外に飛び出してはお花を眺めたり、
金魚をぼーっ・・・と見て、ときに死んでいるのを埋めてあげたり。
机にずーっと、授業中であっても頭を伏せていたりしました。
心をひたすら、誰に対しても閉ざしていました。
本当はみんなで一緒に笑いあいたいのに、それもできない。
私はいてはいけない、価値のない存在だから。いたら迷惑だから。
毎日自分を否定され続けた結果、母の怒りが私にもコピーされ、私も怒り人格になっていきました。
怒ってる自分なんて、出してはいけないと抑えつけていますから、本当は怒っているのに、本当の気持ちを押さえつけているわけです。
その結果、素直に笑うこともどんどんできなくなっていきます。
全てに対して私も、否定的でひねくれるようになっていきました。
でも、超平和主義ですから、人と接するときは満面の笑みを浮かべて、いい子を装います。相手を「一瞬でも」傷つけないように。(私が傷だらけだったので、人が傷つくということにすごく敏感になっていたのです)
でも、心の中は怒りと憎しみと悲しみでいっぱいです。
こんな鎧だらけの自分には、本心で付き合える友達なんてできるはずもなかったのです。
本当は、みんなで笑いあいたい、平和に過ごしたい。
「でも私なんてダメな人間だから・・・こんなに怒ってるし・・・ひねくれてるし・・・
怒りは出してはいけないし・・・いい子じゃなければ、嫌われるし・・・でも、どんなにいい子であっても、私なんてどうせ誰からも嫌われるんだ・・・。。。」
その無限ループを何百回繰り返したことでしょう。
全てを一人で背負い込み、私は殺人級の怒りをためていきました。
学生のときも、二十歳をすぎても、私は自分のことを認められませんでした。
どんなすごいことを達成しても、例え月収100万円になっても、
こんなの当たり前だと思い自分を心から褒めることはありませんでした。
うれしいのは本当に一瞬だけでした。
また自信の無い自分に逆戻りします。
そして何かをできない自分を些細なことでも責め続け、毎日が苦しかったです。
何かを買いまくっても、心が本当に満たされることはありません。
豪華な旅行に一週間いっても、泣いている私がいました。
「もう、こんな人間は生きていてもしょうがない、死ぬべきだ」
そこまで自分を追い詰め、でも死ぬこともできず、生きていました。
過度の抑圧が、気持ちを分離させ、矛盾を作った
怒りがたまりすぎて、万引きを繰り返していたときもあります。
万引きをした理由は今となってはわかります。
「ほら、こんなに盗んだって、つかまらない。
誰も私のことなんて全然見てないじゃない。
苦しんでる私を知ってよ、本当の私は、こんなに最低なんだよ!」
私は怒りと憎しみと、悲しみにまみれていたんですね。
でも母親の前では出せなかった。
だから一人で解消するしかなかったのです。
でも、物を盗んだ罪悪感も、ものすごくものすごくありました。
「私は悪いことをしているんだ。ごめんなさい。。。
警察に捕まったらどうしよう・・・・・」
家に帰ったらパトカーが止まっているかもしれない。
毎日そんなことを考え、すごく怖かった。
手には常に滝のように汗をかき続けていましたね。
「ほら見つからないじゃない!!!」というすさまじい怒りと、
「見つかったらどうしよう・・・・・」というすさまじい恐怖。
2つの矛盾する気持ちが常にあり、とても苦しかったです。
最終的にはつかまり、補導され、親は泣いてましたね。
私は、そのときにも2つの矛盾する気持ちがありました。
「親を悲しませてしまった・・・ごめんなさい・・・」という気持ちと、
「ふん、私がこんなふうになっていたなんて知らないだろう!!!どんなに私が苦しいか知ることもしないくせに!!バカやろう!!」
私は、自分の気持ちを抑圧しすぎたため、極限的に気持ちのギャップがありました。それがまた苦しみの元だったのです。
ものすごく母を愛していながら、私を否定する母を、ものすごく憎んでいたのです。
一番幸せになって欲しい人なのに、殺したいぐらい怒りは溜まっていました。
その原因は、過度の抑圧でした。
自分自身を否定され、極度に繊細な私は、言い返してもどうにもならないこともわかっているし、もう自分がどうしていいのだか全くわからなくなっていたのです。
24時間、きっと寝ている間も混乱していたでしょう。
怒り抑圧のさらに抑圧で、私は万引きしていたときも、二十歳以上になっても、怒りが溜まっていることすら、自覚できていなかったんですけどね。
抑圧により、感情が完全に分離(乖離←かいりと読みます)していました。
犯罪を犯していない時期も、犯罪者の気持ちは続く
実際につかまってからは、もう万引きはやめました。
学生だったからいいものの、次につかまったら警察行きだったからです。
犯罪をやめても、怒りはおさまりません。
ニュースで殺人の報道がされるたび、
「いけないことだけど、そこまで怒ってる気持ちは、同じかもしれない。
犯罪者の人の気持ちも、私はわかる」
こんなことを思う自分は、おかしいのかな。
普通の人とは違うのかな。
そう感じてもいましたね。
自分自身も常に死んだほうがいいと思っていましたし、 生きているのがいつも後ろめたいのですね。
自殺願望もいつもあり、いつ死んでもいい存在。
自分はタブーな存在。いるだけで恥ずべき存在。
それと同時に、みんな死んでしまえとも思う。
そういう気持ちは、犯罪者の人と変わらないかなと思います。
人にはニコニコし続け、光を装いながら、
深い深い闇の中にずっと一人ぼっちでした。

